姪浜こそは”国産み”の中心地

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10月29日(木)- 2015年
姪浜歴史物語

(※編集室より)唐津街道姪浜まちづくり協会の川岡さん。地元姪浜を愛してやまない川岡さんは、福岡市西区~糸島半島を中心にフィールドワークを続けている郷土の歴史研究家でもあります。知る人ぞ知る「姪浜歴史ハカセ」川岡さんが一貫して主張しているのは「福岡市西区を中心としたこの姪浜エリア一帯こそが邪馬台国の地であり、その隣の糸島半島が伊都国であった」。これまで川岡さんが蓄積されてきた数々の傍証を伺っているうちに、あなたもきっと”姪浜ー邪馬台国説”に傾いてくること請け合いです。


 
 
 今回は私が考える姪浜の歴史をお話ししたいと思います。
 但しこの歴史は世間には未だ認められてはいない歴史ですので、川岡保説としてお聞き下さい。
 
 皆様は以前、姪友会(地元事業者の方々による地域貢献団体)が制作しました「姪浜歴史探訪観光案内図」をご存じですか? これは、昭和57年に元姪浜中学校校長先生の西島弘さんが書かれていたものが、何年も風雨にさらされ字が見えなくなっていたので、平成19年に私が多少内容を変えて再制作したもので、現在姪浜七ヶ所に設置しています。
 この中の概要説明で、ここ姪浜は神代期にイザナギ尊が黄泉の国から逃げ帰り、筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊祓をされ、住吉三神、志賀三神、警固三神の神様や、皇祖天照大御神、月読尊、スサノウ尊が誕生された場所と書いています。
 
 古事記や日本書紀の初めに書かれている、天地開闢と神々や、国生み、黄泉の国の話の原点が、ここ博多湾、それに福岡市西区の姪浜や小戸、更に糸島市まで続く物語なのです。
 
…………
 
 中国の歴史書、新唐書日本伝や宗史日本国伝によると、倭国や日本国の前身は倭奴国であり最初の王様の名前は天御中主神となっています。新唐書日本伝では凡そ三十二世、宋史日本国伝では凡そ二十三世が、筑紫の日向宮に居ると書かれています。「磐余彦」こと神武天皇までがここ筑紫の日向に居たという事です。朝鮮国の民族史である「桓壇古記」にも伊都国は神武天皇が居た古村とも書かれています。
 
 それでは「筑紫の日向が何故福岡市西区から糸島市にかけての場所なのか」を説明します。
 
 筑紫とは春日市や筑紫野市、太宰府市付近の事で、日向は日に向かうの意味で、西の方です。ここ旧早良郡の南には日向峠(ひなたとうげ)や日向川などがある事、「大日本名所図録」の姪浜住吉神社境内の図には「姪浜産土神住吉宮は筑紫の日向の橘の小戸の檍原の旧跡」とも書かれています。
 
大日本名所図録・姪浜町住吉神社境内図
大日本名所図録・福岡県筑前国早良郡 姪浜町郷社 住吉神社境内之図

大日本名所図録・拡大図
拡大図 「姪浜産土神住吉宮ハ筑紫日向橘小戸檍原ノ旧跡」とある
 
 宋史日本国伝にはおよそ六十四世の王の名前が掲載されています。
この中では17世が伊邪那岐(イザナギ)尊、18世はスサノウ尊、19世は天照大神、20世は天忍穂耳尊で21世が瓊瓊杵尊、22世は彦火火出見尊、23世はウガヤフキアエズ尊で24世が神武天皇ですが、私はこの中の天照大御神こそが邪馬台国の女王卑弥呼だと思います。
 
 ちなみに、イザナギ尊を祀る神社は鷲尾愛宕神社、伊邪那美尊を祀る神社は飯盛神社です。スサノウ尊を祀る神社は昔の牛頭社で現在の小戸大神宮の場所であり、天照大御神を祀る神社です。鷲尾愛宕神社は天忍穂耳尊を祀っています。
この後に続くニニギ尊からは糸島市に移り雷山の雷神宮、火折尊こと「彦火火出見尊」は高祖神社、ウガヤフキアエズ尊は産宮神社で、初代天皇の神武天皇は、糸島富士とも可也山ともいわれる山頂の可也神社に祀られ、その各皇后も皆ここ福岡市西区から糸島氏に祀られています。
 
歴代                    王名                    神宮・神社名    場所      別名他

十二代                面垂尊                御手洗神社        西区石丸            面垂見尊
 
十七代                伊邪那岐尊        鷲尾愛宕神社    西区愛宕            伊弉諾尊
王妃                    伊邪那美尊        飯盛神社            西区飯盛
 
十八代                素盞鳴尊            牛頭社                西区小戸            元小戸大神宮
十九代                天照大御神        小戸大神宮        西区小戸            イキノ天神
 
二十代                天忍穂耳尊        鷲尾愛宕神社    西区愛宕
王妃                    拷幡千々姫        小戸大神宮        西区小戸            万幡豊秋津姫
 
二十一代            瓊瓊杵尊            雷神宮                糸島市雷山        天彦尊
王妃                    木花開耶姫        細石神社            糸島市八雲 
 
二十二代            彦火火出見尊    高祖神社            糸島市高祖        炎尊・山幸彦
王妃                    豊玉姫                志登神社            糸島市志登        志賀神 長女
 
二十三代            ウガヤフキアエズ尊      産宮神社            糸島市産の宮
王妃                    玉依姫                寶満宮                糸島市蔵持        志賀神 次女
 
二十四代            神武天皇            可也神社            糸島市可也山    磐余彦
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伊邪那岐尊の子供を祀る神社
住吉三神                          姪浜住吉神社                  西区姪浜
志賀三神                          志賀海神社                      東区志賀島
警固三神                          警固神社                          中央区天神
大山祇神 山の神          大山祇神社                      西区鷲尾愛宕山
埴安神 土の神              埴安神社                          西区姪の浜2丁目
高龗神 水の神              貴船神社                          西区姪の浜4丁目

 
(歴代王と王妃を祀る神宮、神社が福岡市西区から糸島市まで繋がっている
伊邪那岐尊が筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊祓をされて誕生された神々を祀る神社と
伊邪那岐尊の子供を祀る神社も福岡市西区姪浜周辺に存在する)
 

 
…………
 
 日本書紀の記述によれば、日本国前身は倭国といいますが、この倭国を造った神がイザナギ尊と妻のイザナミ尊です。
 この夫婦神が天の浮橋で相談して、玉で飾った矛で国を探しますが、その矛の先から滴り落ちた海水が固まって一つの島になります。これが「おのころ島」です。
この島に降りられて御殿を造り、又、天に届く柱を建てられ、国生みや神生みをされます。神生みの最後に生まれた神が、火の神「カグツチ」で、この神の為に火傷をされて、イザナミ尊が亡くなり黄泉の国に行きます。
 
 イザナギ尊は黄泉の国に行ったイザナミ尊を連れ戻しにいきますが、イザナミ尊はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまっていてもう戻れないと言われてしまいます。
 イザナミ尊から私の寝姿をみないで下さいと請われるままにイザナギ尊は約束しますが、我慢できずにこっそりその寝姿を見てしまいました。すると、イザナミ尊の姿は、膿が流れ、蛆が湧いていた死体だったのです。
 
 イザナギ尊は大変驚いて逃げ帰ろうとしましたが、イザナミ尊から「どうして見てはいけないと言っていたのに、見てしまわれたのですか」と言われ、冥界の鬼女八人と本人から追いかけられます。イザナミ尊は黄泉の国との境である平坂・千引きの磐で坂道を塞いでイザナギ尊を捉えようとし、イザナギ尊はその場所で縁切り宣言を言い渡します。
 
 怒ったイザナミ尊が「私はあなたの治める国の民を一日千人づつ絞め殺します」と呪い言を言われたので、イザナギ尊は「そのように言うのなら、私は一日千五百人づつ生ませよう」と返しました。
 そして、「これより先は入ってはならぬ」と持っていた杖を投げられた、その場所が「塞えの神」(さえのかみ)というのです。
そこから自分の着ているものや履いている物を投げられたのがいろんな神に成ります。
 そして、逃げ戻ったイザナギ尊がたどり着いた所が「筑紫の日向の橘の小戸の檍原」なのです。
 
 
…………
 
 
 この記述を私はこう読み解きます。
すなわち、
 
●天の浮橋 → 「海の中道」
●おのころ島 → 「能古島」
●黄泉の国 → 糸島市三雲付近にある弥生遺跡、即ちお墓
●塞えの神 → 周船寺にある「塞神社」(さいじんじゃ)
 
だと考えます。
 
 塞神社の先から舟に乗り小戸大神宮の前の海に着き、此処で禊祓をされて警固、住吉、志賀の各三神が誕生された後、左目を洗うと天照大御神右目を洗うと月読尊、鼻を洗うとスサノウ尊が誕生されたのです。
 
 「橘の小戸の檍原」の意味は「橘」は「立つ鼻」で「立」は台地の意、「鼻」とは「岬」を示します。福岡市の地図を見ていただくと「牧の鼻」や「磯崎鼻」等鼻の付く岬が沢山あります。小戸と言うのは「水」や「川の落ち口」で、「檍原」(あわぎはら)は古語で真水と潮水が合流する所を「あわき」といい、原とは海原を指しています。
 
 因みに「禊祓」とは、魏志倭人伝には、家族が亡くなって葬儀をした後、海で泳ぐと書かれています、これはつい最近まで「清め塩」を体にかける風習がありましたが、それが禊祓の事だと思います。
 小戸は昭和の始めまで「塩の産地」であり、火葬場までありました。「小戸大神宮略記」にも同じような事が書かれていますが、福岡市西区小戸の小戸大神宮前の福岡市立小戸ヨットハーバー付近がこの情景とぴったり一致するのです。
 
 イザナギ尊の子供を祀る神社が姪浜近郊にはたくさん存在します。
 
 スサノウ尊と太陽神の天照大神は小戸大神宮、海の神の住吉の神は姪浜住吉神社、山の神は鷲尾山に大山祇神社、土の神埴安姫は探題塚の埴安神社、水の神は上野間の貴船神社、宇加乃御霊は生の松原の宇賀神社等で何と6社も存在するのです。
 
 ではイザナギ尊が左目を洗ったり、右目を洗ったり、鼻を洗ったりしたとの記述があるのでしょうか?
 私はこの伊邪那岐尊の名前の字体から、これは、博多湾周辺の出来事と思い、次の図の様に考えてみました。
 
博多湾エリア
 
 博多湾は昔から「歯の形をしている」と言われています。歯があるのならば口や目鼻だってあるはずです。
 このイザナギ尊の名前の字「伊・邪・那・岐」から、右目は「伊都国」、鼻は「邪」で「邪馬台国」、左目は「那」で「那国」だと考えます。「岐」とは区域を指しており、「尊」を王様だと解釈すると、なんと博多湾周辺の地図がぴったり一致するではありませんか。
 
博多湾・逆さの顔
 ! 言われてみれば逆さになった顔の形……。
 
 
 伊都国は今の糸島市の南半分、邪馬台国は昔から早良王国といわれ、大半が壱岐とも言われていて、邪馬台国は魏志倭人伝には邪馬壹国と書かれています。また、数字の壹と言う漢字も壱岐の壹とも一致します、那国は、昔から「那の津」や「那珂川」の地名が残っている事から、福岡市の博多区や中央区、那珂川町付近を指すのではないかと思っています。
 
太宰府天満宮所蔵の国宝「翰苑」にも「邪届伊都、傍連斯馬」と書かれていて邪馬台国は糸島氏の伊都に届き、又、糸島郡志摩町の傍らに連なると読めるのですが、皆さまはこの事を聞かれていかが思われますか。
 
 
※(編集部より)上記の内容は川岡氏ご本人の許可を得て、平成271015日に福岡信用金庫姪浜支店で実施された講演:姪友会講話「姪浜の歴史」をWeb用に再編集したものです。
 
 


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