西区古代史(4)姪浜住吉神社の初代宮司は物部氏が就き、代々の宮司が大連(おおむらじ)を務めた。

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3月10日(木)- 2016年
姪浜歴史物語

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 今度は姪浜住吉神社の話に移ります。
 数年前に元姪浜住吉神社の宮司家である浜さんが「本姓物部、後改め藤原」の浜氏系図を持ち込まれました。浜さんの本家は姪浜にあるのですが、分家は大阪府茨木市に住んでいらっしゃる方で、大阪住吉大社の宮司さんとも親戚の間柄ですが、本家の墓が姪浜の興徳寺に在るので毎年お盆にお参りに来られています。
 この系図には物部氏が栲幡千々姫でスサノウ尊と結婚して、ニギハヤヒ尊が生まれたことになっていて、その後古代天皇家の皇后に物部一族の女(むすめ)がなっているのです。

濱氏系図 本姓物部 後改 藤原(1)
濱氏系図 本姓物部 後改 藤原(2)
濱氏系図 本姓物部 後改 藤原




 私が驚いたのは初代姪浜住吉神社の宮司に「物部五十琴宿禰」が就任している事で、妹の物部五十琴姫が景行天皇の妃です。それから二代目正神主が物部伊?弗大連、三代目が物部目大連、四代目が物部荒山大連、五代目が物部尾輿(おこし)大連、六代目が物部大市御狩(みかり)大連、七代目は宇志連、八代目美味連、九代目は物部多都彦大連です。
 この多都彦大連の兄は藤原濱成と言い、太宰府師となっていて師とは長官の事です。ここから藤原と名前が変わっているのです。
 姪浜住吉神社宮司が景行天皇の時代から天智天皇の時代まで、ほぼ皆、時の政権の大連を務めていた事は、ここ姪浜周辺に倭国の都が在ったことを示唆しています。後に太宰府ができて、そちらの方に移動したのではと考えています。大連とは現在でいう「総理大臣」か「官房長官」のような地位です。神功皇后と言えば西暦500年位で、天智天皇と言えば西暦645年の大化の改新位の人ですので、およそ200年間、この付近に都が存在していたのだろうと推測しています。

 筑前町村書上町には、姪浜住吉神社が存在した場所は現在の姪浜住吉神社の場所ではなく、小戸大神宮即ち小戸公園の中央部にあったと書かれています。
 ただ、この姪浜住吉神社の9人の宮司さんはインタ-ネツトで検索すると奈良県の石上(いそのかみ)神宮を奉斎したと書かれていて、住吉神社とは書かれていないのですが、私はこの系図を重要な証拠として、ここ福岡市西区から倭国が始まった事を証明するつもりです。

神統譜 天神系
神統譜 天神系

 姪浜住吉神社境内の図には壱岐真根子の旧跡も近くに在ると書かれていますが、これは生の松原にある壱岐神社と姪浜の上野間に在る、真根子神社の事と思われます。この壱岐真根子は雷大臣の子供で、中臣氏・藤原氏の御先祖です。浜さんが「私の家は藤原鎌足の子孫」ですと言われています。
 この壱岐真根子についてですが、神統譜(天神系)の系図では藤原鎌足の先祖は「天御中主神」から始まります。この中には大楯命(おおたてのみこと)、中臣鹿島連が掲載されている事から、ご先祖は佐賀県鹿島市から来た跨耳命(またぐみみのみこと)で、雷大臣が糸島市に、子供の壱岐真根子が福岡市西区に事績があるのです。
 その後、この雷大臣と壱岐真根子親子は神功皇后の三韓遠征で新羅に行った後、三韓からの防備の為、雷大臣は対馬に、壱岐真根子は長崎県壱岐市に派遣されたと、香椎町誌に書かれています。

 

 鷲尾愛宕神社の由来書には、鷲尾山の北嶺に武内宿祢の旧跡が在ると書かれていて、武内宿祢は蘇我氏の祖で、ここに倭国、日本国の三大豪族、物部氏、蘇我氏、中臣藤原氏が住んでいた事になります。宗像市の織幡宮には武内宿祢の沓塚(くつずか)見つかっているとも掲載されています。
 この事は未だ誰でも知らない事ですが、古代の歴史で重要な事と思います。
 

愛宕神社境内の図愛宕神社境内の図

 姪浜は「田部」地区で倭名類聚抄には物部小前が住んでいたとも書かれていて物部氏が姪浜に住んでいたことを示しています、田部というのは古代豪族物部氏の直割地で、田部連は宇佐八幡宮や石上神宮の祠官家となっていている名前であり、物部五十琴宿禰や物部尾輿の名前が掲載されています。
 

宇佐八幡宮祠官家・石上神宮祠官家
宇佐八幡宮祠官家 石上神宮祠官家

 次に、安本美典さんが作成された、歴代天皇朝重役リストをご覧ください。ちなみに「安本美典」さんは2013年発行の文芸春秋「邪馬台国を統計学で突き止めた」で、「邪馬台国の場所が福岡県である確率は99.9%」と言われている方です。
 このリストには、神功皇后の時代に「武内宿禰」「物部五十琴」「物部多遅麻」「雷大臣」(中臣氏遠祖)と書かれています。
 雷大臣は壱岐真根子の父親、物部多遅麻の娘は、神功皇后の子供の「応神天皇」の皇后です。皆、神功皇后に関係あり、福岡市西区に関連ある豪族ばかりなのです。

歴代天皇朝重役リスト
歴代天皇朝重役リスト 安本美典著


 姪浜住吉神社が鎮座されている場所は、今の姪浜住吉神社の場所ではなく、小戸の小戸大神宮が在る場所だったと説明しましたが、筑前国続風土記付録に鷲尾山愛宕神社の図が有ります。
 その鷲尾社の西に長四角の解説板に「小戸大神宮」と書かれていたのですが、今の筑前国続風土記付録から、小戸大神宮の文字が消えています。
私は平成14年に郷土写真集「姪浜とその周辺」を出版しましたが、この図を掲載するのにあたり、著作権を持つ東京の文献出版社に掲載願書を申込み許可を取りました。

 
郷土写真集「姪浜とその周辺」掲載のため許可を取った図(一部)

 
 最近になって、この小戸大神宮の文字が消えている事に気づきました。これは「小戸大神宮」が九州福岡に存在するのが許せないので消されたのだと思われます、風土記から文字が消える、これは相当な政治力を持った方が消したに違いないと思うのですが、文字が消えるという事は「歴史の真実が本当」の事だからです。
 
「小戸大神宮」の文字が消されている

 最後に日本国国歌「君が代」の話をします。
 この君が代は、東区の志賀海神社の山ほめ祭の祝詞ですが、山ほめ祭とは、春の季節4月15日、五穀豊穣や漁業、狩猟の安全を祈願する祭りと秋の収穫された穀物や魚類を11月15日に神前に供えて感謝するお祭りであり、この二つの祭りを合わせて「山ほめ祭」と言います。
 この歌詞は

  君が代は、千代に 八千代に 細れ石の いわをとなりて 苔のむすまで

 君と言うのは「伊邪那岐尊」の「岐」(き)と、「伊邪那美尊」の「美」(み)の意味で、伊邪那岐尊と伊邪那美尊が造られた世の中は、千年も八千年かけて小さな石が大きな岩になって苔が生えるまで長く続きます様に、と言う意味です。
 この歌が博多湾の志賀海神社の祝詞であるという事は、ここ博多湾沿いから、国生みが始まったに違いない決定的な証拠だと思うのですが。

瀛環志略

この地図は中国で作成された九州地図ですが、北九州付近に「王京」の文字が掲載されています。これは王様が住む都と思うのですが、皆様にはどう映るのでしょうか。
(了)

 
 
※(編集部より)上記の内容は川岡氏ご本人の許可を得て、平成271218日に西福岡警察署で開催された講演「福岡市西区の歴史」をWeb用に再編集したものです。
 


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